雅子様病状現在は?適応障害悪化は嘘で原因は秋篠宮家?
2019年10月22日に天皇即位の礼が執り行われました。
そこで晴れて皇后陛下となった雅子様。
2003年に適応障害と公表されてから早16年。
雅子様の病状、現在はいかがなのでしょうか。
また適応障害悪化の噂や原因にも迫っていきます。
目次
雅子様病状現在は?-過去に適応障害と診断
度々心配の声が上がる雅子様の病状。
宮内庁より2004年7月30日、雅子様が適応障害であることが公表されています。
適応障害に関して分かりやすくまとめられた内容がこちらです。
適応障害は、ある特定の状況や出来事が、その人にとってとてもつらく耐えがたく感じられ、そのために気分や行動面に症状が現れるものです。
たとえば憂うつな気分や不安感が強くなるため、涙もろくなったり、過剰に心配したり、神経が過敏になったりします。
ストレスとなる状況や出来事がはっきりしているので、その原因から離れると、症状は次第に改善します。でもストレス因から離れられない、取り除けない状況では、症状が慢性化することもあります。
そういった場合は、カウンセリングを通して、ストレスフルな状況に適応する力をつけることも、有効な治療法です。
適応障害はストレスとなる状況や出来事がはっきりしていると上記にも書かれています。
雅子様がストレスと感じられていたのが以下の内容と言われています。
- 1993年の皇太子さまとの結婚により全く異なる環境に入った。
- 皇太子妃という立場から来るプレッシャー
- その上お世継ぎ問題でさらなるプレッシャー
- 子供が生まれて公務に復帰をするも様々な要望に応えようとしすぎて心身ともに疲労
雅子様は皇太子様と出会い、ご結婚されるまではキャリアウーマンとして世界を飛び回って活躍されていました。
アメリカのハーバード大学を卒業後、東京大学在学中に外交官試験に合格。
アメリカ通商代表部との会談で通訳をされるなど、国内のみならず海外でも若手女性外交官として脚光を浴び、ご活躍が知られる存在でした。
ところが皇太子様との結婚で今までと環境がガラリと変わることになります。
元々責任感の強い雅子様、色々なプレッシャーに耐えかねたのでしょう。
ご公務を徐々にお休みされるようになります。
こちら2004年に皇太子様が雅子様の病状を伝えられた時の映像です。
今見ても胸が痛みます…。
雅子様病状現在は?-適応障害悪化は嘘?
2017年頃から雅子様の病状が回復傾向にある事が度々報道されるようになりました。
この年には休みがちだったご公務に徐々に参加されるようになり、地方訪問を積極的に行われました。
2018年1月には、新年恒例の「講書始の儀」に15年ぶりに出席、また同11月にも、園遊会の全工程に15年ぶりに参加されました。
こうした雅子さまの変化は、「新皇后へのご自覚の現れ」などと言われている一方で、2019年1月に行われた「歌会始の儀」は欠席、また2月の天皇皇后両陛下主催の茶会にも姿を見せず、「やはりご体調に波があるのか」「皇后になられることで、病状が悪化するされたのでは」などと、世間ではささやかれていました。
ここからは私の見解になりますが、今現在雅子様の病状は悪化されていることはないにしろ完治はされていないのではないかと思われます。
やはり今後皇后として世間に出ていかれなくてはならない事へのプレッシャーは計り知れないと思います。
雅子様はおそらく完璧主義な方なので、『完璧にできなければ意味がない』『完璧にできない私はダメだ』と思い詰め、不安定になってしまうこともこの先あるかも知れないと感じています。
私としては完璧主義に囚われすぎないようになさってほしいですし、何より『他人(美智子さま)とご自分を比べないこと』がとても重要だと思います。
やはりご公務を行わなければ、国民からの敬愛は得られません。
ただご公務を完璧にやらなければいけないと重圧を感じることで、逆に病状を悪化させて再びご公務に行けなくなる可能性もあります。
雅子様の中でその折り合いをどうつけるかが大切だと思います。
雅子様病状現在は?-原因は秋篠宮家?
未だに雅子様の病状・症状を心配する声が数多く上がると共に、最初に適応障害を発症したときの詳しい原因が知りたいとの声も多く聞かれます。
原因となりうる要素は数多くあったと言われています。
- 皇太子様との結婚のバッシング
- お世継ぎ問題
- 秋篠宮家との不和
どこまでが本当が分からない部分もありますが、報道されている内容も含めて解説していきます。
皇太子様との結婚のバッシング
雅子様は元々キャリアウーマンという事もあってか、結婚前から「厚かましい」「女性らしいお淑やかさに欠ける」などのバッシングを浴びられていました。
結婚記者会見では雅子様のお話の長さが皇太子様より28秒長かっただけで「でしゃばりすぎた」とバッシングの嵐だったようです。
尋ねられていないことまで話しており、まるでアメリカ人のような振る舞いだとの声が上がったそうです。
私からしたらあり得ないぐらいばかばかしい言いがかりですが、当時はこれぐらい雅子様に対する風当たりが厳しかったそうです。
そしてこの会見以降、雅子さまは公の場での発言を許されなくなりました。
その後の3年間で人前で話す機会はたったの1回しかなかったのです。
お世継ぎ問題
当時、皇位継承者第1位は皇太子殿下、第2位は秋篠宮殿下で、それより下の結婚前の皇族は分家をたどっても存在していませんでした。
したがって皇太子殿下のお妃である雅子様が男児を産むことに強い期待が集まっていました。
結婚当時で29歳だった雅子様。
とにかく男児出産を最優先とするよう周囲から求められ、雅子様もこれに応えようと努力されていたようです。
しかし子供は作ろうと思ってすぐにできるものでもなく、子作りに専念するようにと宮内庁は雅子さまの海外訪問を禁止してしまったそうです。
雅子様が不妊治療を開始したという報道まで出てしまい、プライバシーも何もあったものではなかったんです。
秋篠宮家との不和
この内容はどこまで本当か分かりませんが、雅子様はこれまでずっと、紀子様と比較され続けてきたと言われています。
紀子様は、男児である悠仁様を出産され、娘である眞子様、佳子様が不登校になることもありませんでした。
紀子様は美智子様から気に入られているという話もあります。
雅子さまは、そんな紀子さまに対して、強いコンプレックスを抱かれていたのではないでしょうか。
雅子様病状現在は?まとめ
雅子様は長く適応障害という病気を患われておりました。
そして今現在も完治には至っていないものと見られています。
原因は諸説囁かれていますが、とにかく完璧に囚われすぎないことが大切なのではないかと思いました。